かぶとたいぞうです。
最近は毎日このブログを書いています。昨日迄に922本書きましたから、今日は923本目です。約2年半、ほとんど毎日一本ずつ書いています。
このブログには毎日500人以上の人が読みに来てくださいます。ありがたいことです。
毎日500人の人が私の話を聞いてくれる幸せ
私は以前経営コンサルタントをやっていました。講演会に講師として呼ばれ、人前で話すこともしばしばありました。観客が100人程度の講演会はよくありましたが、一度に500人ものお客様が私の話を聞いてくれることは稀でした。
毎日500人もの読者がこのブログに来てくださいるというのは、毎日500人の前で講演しているのと似ており、心地よい緊張感があります。
読者の皆さんのおかげです
毎日「書こう」と自分を奮い立たせてくれるいちばんの動機づけは読者の皆さんの存在です。ありがたいことです。
私が毎日文章を書けるようになったのはごく最近です。以前は3日坊主でした。ブログも今回が初めてではありません。以前、別な名前で書いていたことがあります。一時期は毎日熱心に書いていました。でも長くは続きませんでした。
私が文章を書き続けることができるようになった、たった一つの理由
私が2年半前から毎日文章を書けるようになった理由はただひとつ。
「話すことが下手になったから」
だと思います。
自分で言うのもなんですが、若い頃の私は話しが上手でした。ちょっとした「話し家」でした。講演会でも受けが良く、お客様を沸かせました。30年間で3,000回は講師を努めたと思います。1時間の講話で50万円くらい頂いたこともあります。それほど人気があったのです。
昔は話しのほうが得意だった
大勢の人の前に立つと、どういうわけかいい言葉が出てくるのです。神様に取り憑かれたかのように次々と言葉が出てくるのです。自分でも不思議でした。
その頃の私にとって、文章を書くということは面倒なことでした。話すほうが簡単でした。
ある日突然、言葉が出なくなった
ところが50歳台も半ばを過ぎると、ある日突然言葉が出なくなったのです。以前なら流暢に、受けのいい、しかも相手に感動を与えるような言葉が自然と出てきたのに、まったく出なくなったのです。
講演会のみならず、来賓や乾杯などの挨拶もだめです。自分でもつまらないと思うような話ししかできなくなったのです。準備をすればするほど面白くない。話したあとで「ああ、こう言えば良かった」と思って後悔するのです。
頭の切れが悪くなった
たぶん頭の切れが悪くなったのです。
以来、人前で話すのがおっくうになりました。友達と酒を飲んでもあまり話さなくなりました。そのぶん人の話を聞くようになりました。
そのころから私は文章を書くことに集中し始めました。
話しが下手になった私は文章に集中するようになった
文章なら書いた後に自分で読み返して何度でも書き換えることができます。
「ああ、こう言えば良かった」と思ったら言い直せばいいのです。
実際、このブログの文章は毎日2時間も3時間もかけて何回も書き直してから投稿しています。
一発で適切な言葉を生むことができなくなった今の私には、時間をかけて何回も何回もコネクリまわせる「文章」のほうが有利なのです。
「表現者」として生き残る手段が文章だった
しかもおしゃべりと違ってあれやこれやの前置きも不必要な挨拶も要りません。言いたいことだけストレートに表現できます。
書きながら「私は結局何を言いたいんだ」と自問自答します。そして書いたり直したりしているうち自分の思いがしだいに明瞭になり、自分でも感心するような言舌(ごんぜつ)が生まれることがあるのです。
だから、今の私が毎日文章を書くことができるようになったのは、必要に迫られたからなのです。「表現者」として生きていくうえで必要になったからなのです。
+++
偶然見つけた村上春樹氏の「職業としての小説家」
先日、那覇の「おもろまち」の商業施設を散歩していて書店を見つけました。書店の隣にはタリーズコーヒーがあり、入り口には「本を一人一冊まで持ち込み可」と書かれていました。
書店とタリーズコーヒーが提携しているようです。タリーズでコーヒーを飲めば、ただで本が読めるシステムです。
ちょうどコーヒーも飲みたかったので、なにか適当な本を探しました。色々探しているうちに村上春樹氏の「職業としての小説家」という本を見つけました。
村上春樹氏はどうして小説家になったか
なんとなく手にとって最初のページを立ち読みしたら、もう少し読んでみたくなりました。私はその本を持ってカウンターに行き、コーヒーを買いました。
村上春樹氏は本の中で、「自分がどうして小説家になったのか」などを分かりやすく説明していました。とても興味がありました。
村上春樹氏「職業としての小説家」さわりの要約
要約するとこうです。
- 小説を書くことは誰にでもできる、でも書き続けることは誰にでもできることではない
- 愚鈍な者が文章を書く、頭のいい人は文章なんて面倒なものは書かず言葉で上手に話す
- 文章を書き続けるには忍耐が必要だ
- でもそれ以上に必要なのはある種の「資格」だ、その「資格」とは神から与えられた「啓示」のようなものだ
- 自分は文章を書くのに辛い思いをしたことがない、書いていて楽しい
目からウロコが落ちました。村上春樹氏のような大文豪と私とでは比べるのも失礼ですが、今の私と合致するものがあり共感しました。
愚鈍な者が文章を書く
私はまだ啓示など得ていないし、文章を書いていていつも楽しいわけではありません。たまには書きたくないのに無理して書いていることもあります。
また、私が書いているのはただの散文であり雑文です。村上春樹氏のような上等な文章は書けません。
でも「愚鈍な者が文章を書く」というのは正しいと思うのです。村上春樹氏は決して愚鈍ではありません。頭脳明晰です。だから半分は謙遜です。でも残り半分は真理だと思います。
「自分は愚鈍な者だ」という自覚があるからこそ、表現手段としての文章を大切にできるのだと思います。
村上春樹氏の「職業としての小説家」を買って読む
私はタリーズコーヒーで村上春樹氏の「職業としての小説家」を最初の2章しか読んでいません。残りは買って読もうと思っています。
今の私はまさに愚鈍です。思うように言葉が出ないことが増えました。でも時間はたっぷりあります。
はからずも世の中はコロナ禍。人が集まる講演会などのイベントは流行りません。
私はたぶんこれからも死ぬまでブログを書き続けると思います。今の私にはそれしか思いを伝えるすべがないからです。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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