かぶとたいぞうです。
私が今までの人生で学んだ重要な言葉が2つあります。
「入るを量りて出ずるを制す」
「足ることを知る」
の2つです。
入るを量りて出ずるを制す
「入(い)るを量(はか)りて出(い)ずるを制(せい)す」とは、簡単に言うと「収入に合わせて支出する」、「収入以上にお金を使わない」という意味です。
とても簡単で単純な概念ですが、大きな会社の社長室なんかにも掲げられている大事な経営原則でもあります。
【関連性の高い記事】
このこともとても大事ですが、今日はもう一つの「足ることを知る」のほうに焦点をあてます。
足ることを知る
「足(た)ることを知(し)る」とは、簡単に言うと、「足りていると思う」、「充分だ、満足だと思う」という意味です。
「知」という漢字は古来「思う」という意味で使われておりました。
「士は己を知るもののために死す」(史記)「知行合一」(伝習録)の「知」はいずれもその意味です。
感謝するという意味でもある
「足ることを知る」とは、今の自分が置かれている状況を受け入れ、感謝するという意味でもあります。
世の中には、どんなに優遇された環境でも、文句を言う人、足りないと言う人がいます。いっぽう、どんなに大変な状況でも感謝し、十分足りているという人がいます。
「足りない」という人
「足りない」という人はどんなにお金があっても足りないと言います。心が満たされていないからです。
心を一時的に満たすために高いものを買います。誰もが羨むような服やバッグ、アクセサリーを付けて、高級なレストランで高級な料理を食べます。一流ホテルに泊まります。夜の街で散財します。
しかし一時的な満足はすぐに忘れ、また「足りない」と思うようになります。
だからもっとお金が必要になるのです。
「老後資金がいくら足りないか」は、人による
「老後資金がいくら足りないか」は、人によるのです。
歳をとっても贅沢したい人にはうんとお金が必要でしょう。いっぽう、足ることを知った人にはお金はあまり必要ではないのです。
私も若い頃はうんとお金を稼いだが
私も若い頃はお金をうんと稼ぎました。でも私の場合は高級なブランド品が欲しかったからではなく、自由を手に入れたかったからです。
若い頃の私は、自由はお金で買えると思っていました。お金さえあれば、嫌な仕事、気の向かない仕事をしなくて済むと思いました。経済的な自由が真の自由に直結すると思っていました。だからうんと稼ぎました。
真の自由はお金の呪縛から開放されたときに初めて得られる
でも、稼げば稼ぐほど使うお金も増えました。そして常に不足感がありました。
真の自由はお金の呪縛から開放されたときに初めて得られることを知ったのはずっと後年になってからです。
足ることを知ると常に心は富んで、自由に生きられる
「足ることを知る」と、一時的な消費や贅沢で心の不足を埋める必要がなくなります。
また、「足ることを知る」と、お金が必要ではなくなるので、お金を稼ぐ必要もなくなります。お金にコントロールされたり、お金の奴隷にならなくて済むのです。そこに真の自由があります。
つまり、足ることを知り、お金とは縁を切って、無いなら無いなりの生活に満足できるようになれば、常に心は富んで、自由に生きられるのです。
いにしえの賢者
いにしえの賢者が山中で托鉢をしながら清貧の生活を楽しんだ意味がよく分かります。彼らは何よりも自由を大事にしたのです。
【関連性の高い記事】
みんな「足りない」と言うが
今の世の中は、みんな「足りない」と言います。
老後資金が足りない、国の支援が足りない、地域の交流が足りない、出会いの場が足りない、家族やパートナーの愛情が足りない、周りの人の理解が足りない、癒やしが足りない。
でも本当に足りないのは感謝の気持ちかもしれません。
「足ることを知る」のは難しくない
「足ることを知る」のはそれほど難しいことではありません。なにか特別な修行が必要なわけでもありません。
ただ単に「考えてみれば、戦時中とか、幕末の飢饉の時に比べれば今の自分の生活は十分贅沢だよな」と思うだけです。
「考えてみれば、健康だというだけで十分幸せだよな」と思うだけです。
「考えてみれば、生きているだけで幸せだよな」と思うだけです。
そんな簡単なことだけで「足ることを知る」ことができ、一瞬にして真の自由を得ることができます。
でも、それができる人はごくわずかなのです。
ごきげんよう。
【関連性の高い記事】
【かぶとたいぞう有料ノート】
この記事があなたのお役に立った場合、下の「いいね!」をクリックして頂けると、たいへんはげみになります。
【あわせて読みたい】
同じカテゴリーの最新記事5件
-
【対人関係】誰かに嫌な態度をとられ、自分を反省するのも良いけれど、問題は相手にあるのかもしれない -
道を求める者は世俗を離れ、ひとり山中に身をひそめて自分との対話を楽しむ。たまの話し相手は古典 -
【徒然草】やっぱりたまに徒然草を読んだほうがいい。吉田兼好の思考は老後生活のヒントになる -
断捨離が流行っているけど、何でも捨てればいいというものではない。捨てて失敗したものもある -
「足ることを知る」とは「現状に満足する」という意味ではない。むしろ、まったく逆の意味
「カブとタイ」をいつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
著者かぶとたいぞう拝。
記事のカテゴリー/タグ情報
たいぞうさんへ
一昨年11月京都の龍安寺へ行った時、方丈の北東に据えられたつくばいに感動しました。
このついばいには、「吾唯足知」(東西南北の文字と中央の「口」を共用)と刻印されていて、意味は「吾れ唯足るを知る」(I learn only to be contented)となり、その時の私の心境に通じるところがあったからです。
このつくばいは、水戸光圀公が寄進したものだそうですが、起源は老子・孔子・仏陀などの教えと言われているようですね。
※沖縄はコロナ大変そうですが気をつけて下さいね。
ひろたん様
かぶとたいぞうです。
いつもコメントありがとうございます。
そうですか、水戸光圀公ですか。
私は水戸黄門が大好きなので、何か縁を感じます。
京都の龍安寺に私もいつか行ってみたいです。