かぶとたいぞうです。
生産的なことを何もせず、ただ1日中くだらないことをやったり、だらだら過ごして1日が終わることがしばしばあります。
私の1日
例えば、朝起きて、コーヒーを飲んで、畑で土いじりをして、ブログを書いて、ご飯を食べて、散歩して、買い物をして、掃除とか洗濯とか家のことを少しして、インターネットでいろいろ見たり読んだりして、映画やビデオを見て、夕飯を作って食べて、音楽を聴いて、酒を飲んで、星を見て、そして眠くなって寝るのです。
「充実した1日」といえばそんな気もしますが、これが毎日続くと、「1日中、何もしなかったなぁ」、「価値のあることを何もしていないなぁ」、と不安になることがあります。
じゃぁ、いったい、価値のあることってどんなことなんだろう、と考えてみました。
多くの人はとにかく外に出て「仕事」をしさえすれば何となく「価値のあること」をやっていると思って安心できるようです。
しかし、その仕事がただ単に金を稼ぐためだけなのであれば、私だって同じことをやっています。株の配当を受け取り、原稿料や広告料なども多少手に入れているのです。多くの人が思っている「仕事」とは異なりますが、金を稼ぐという点では同じことをやっています。
むしろ金を稼ぐという点では私のほうが効率がいいかもしれません。外に「仕事」に出ても、稼ぐ給料が少ない割りに、交通費、交際費、外食費などの出費がかさんで実入りの少ない人がたくさんいると思います。ストレス解消にお金がかかる人もいるかもしれません。
「仕事」はそれほど価値のあることか
それでも外に出て、いわゆる「仕事」をしてお金を稼いでいる人は、何となく価値のあることをやっていると思って安心しています。
多くの人の役に立ち、使命感に燃える仕事なら別です。でも、お金を稼ぐためだけに嫌々やる「仕事」は、ただ単に生きるための手段です。それほど価値のあることとは思いません。
世の中にはサボって仕事をしない人もいるので、まじめに仕事をしている人は立派です。家族の為にがんばっている人も多いでしょう。私もかつてはそうでした。だから仕事を否定しているわけではありません。まじめに仕事をすることはいいことです。ただ、生きる為に仕事をするのは当たり前のことであって、価値のあることとまでは言えないと思うのです。
「仕事」によって得るお金には価値があります。が、多くの場合、「仕事」そのものにはそれほどの価値はないと思います。その証拠に、お金さえ充分に手に入れば仕事をやめてしまう人が多いのではないのでしょうか。価値のある仕事であれば、たとえお金が充分に手に入ってもやめないはずです。
「仕事」以外で価値のあること
と言うわけで、いわゆる「仕事」以外で価値のあることがないだろうかと考えたのです。
「仕事」を終えて帰宅して、ビールを飲みながら熱心に野球を見る人が日本には大勢います。
私は野球なんか見て何が面白いのかと思います。自ら野球をやるなら別ですが、他人がやっている野球を見て楽しいのだろうか。他人の試合を見て、勝ったとか負けたとかと言って興奮するのはどうしてか。
野球観戦ほど価値のない行動はないと思います。私はテレビはほとんど見ないので、テレビばっかり見ている人よりは自分の行動のほうがまだマシだと思っています。
でも、あらためて私が毎日やっている行動を客観的に観察したら、やはりまったく価値のないものばかりであることに気づきます。もともと人間は本能のおもむくままに意味なく生きている動物なのかもしれません。
多くの人の行動は食欲と性欲に動かされているだけ
私も含め、多くの人が興味を示すのは食欲と性欲の2大本能の分野です。
趣味、余暇、レジャー、ニュース、インターネット、買い物、ファッション、旅行、遊び、グルメ、テレビ番組、映画、小説、ゲーム、習い事、スポーツ、どれも人間の2大本能を巧妙にくすぐるものばかりです。そしてその強い影響を知らず知らずのうちに受けて私達は行動しています。マスメディアに乗せられて消費しているだけなのです。
気をつけなければなりません。うつつをぬかしていると浪費します。「仕事」とストレス発散の浪費を繰り返すだけで一生ムダな時間を費やします。人生の浪費です。
私が好きなのは映画
私は映画を見ている時が一番楽しいです。名作映画、人間ドラマが好きです。映画を見ている時は自分が主人公と一体になっています。感動したり気づきがあります。
【関連性の高い記事】
しかし、よく考えると映画は勉強になることも多いですが、私の行動は野球を見て興奮している人とそんなに変わりません。
つまり、映画でも野球でも、実際に感動的な行動をしているのは自分ではなく登場人物なのです。そして自分はただ酒を飲みながらそれを見ているだけなのです。
私達はいつも傍観者
主人公や選手と一体になったような気でいますが、やっているのと見ているのでは大違いです。やっている人は命を削り汗をかいて本気で勝負をしています。いっぽう自分は茶の間に寝転がって画面を見ているだけなのです。実際は何もしていないのです。常に受身で楽しんでいるだけなのです。与えられた刺激に反応しているだけなのです。
野球選手は多くの人に喜びを与え、映画俳優は多くの人に感動を与え、作家は多くの人に夢と希望を与えています。彼らはみんな価値のあることをやっています。
しかし、それを見ている私達は楽しんで、批評して、時間を潰して、気を紛らわしているだけです。価値のあることなど何ひとつしていません。
唯一価値があるかもしれないこと
いま私がやっていることの中で、もしかしたら価値があるかもしれないと思うのは、このブログだけです。
だからこのブログだけは毎日欠かさず書こうと思います。書けるうちはずっと書こうと思っています。
毎日くだらないことばかりやっている私ですが、それらの行動が全てこのブログを書くために必要な行動だと思えば自分なりに納得がいきます。そしてこのブログを読んでくれた人の中で1人でも喜んでくれる人がいたら、それは間違いなく価値のあることだと思います。
だから私はもっと行動して、もっと勉強して、もっといろいろなことを考えなければならないと思うのです。
生きる価値・目的
私には生きる価値、生きる目的など、そんな高邁なことは分かりません。しかし、私以外でもブログを書いている人、ちょっとした発信をしている人、芸術活動をしている人、何らかの社会的活動をしている人、一人でも多くの人に何かを伝えようとしている人などは、形がどうであれ価値のある行動をしていると私は信じます。
人に良い影響を与える可能性があるからです。その影響を受けて世の中が良くなる可能性が少しでもあるからです。
ごきげんよう。
【関連性の高い記事】
この記事があなたのお役に立った場合、下の「いいね!」をクリックして頂けると、たいへんはげみになります。
【あわせて読みたい】
同じカテゴリーの最新記事5件
-
【徒然草】やっぱりたまに徒然草を読んだほうがいい。吉田兼好の思考は老後生活のヒントになる -
断捨離が流行っているけど、何でも捨てればいいというものではない。捨てて失敗したものもある -
「足ることを知る」とは「現状に満足する」という意味ではない。むしろ、まったく逆の意味 -
【敬老の日】高齢者の4人に1人が働く日本。うち65歳から69歳の就業率は52%。早期リタイアの私は少数派 -
一度結婚に失敗した人は、その後も何回も失敗する。一度相手に騙された人は、その後も何回も騙される。なぜなら
「カブとタイ」をいつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
著者かぶとたいぞう拝。
記事のカテゴリー/タグ情報