かぶとたいぞうです。
相手に喜ばれようと食事のたびにお金を出したり、何かを買ってあげたり、何かの費用を出してあげたり。
しかし、いつも自分ばかりお金を出していると、出される側は、出してもらうのが当たり前になり、別に感謝もしないし、嬉しいとも思わなくなります。
こんな簡単な心のメカニズムを私は最近になってようやく知りました。
毎回奢られるほうは、実は感謝などしていない
お金を出すほうは相手に喜ばれていると錯覚しています。しかし喜んでいるのは最初の1回か2回だけ。その後会うたびにお金を出せば、相手はうれしく思わなくなります。
出してもらうのが当たり前になります。そして、そのうちに次のように思うのです。
- こいつは金があるのだから出すのはあたりまえだ。
- こいつは金を出したがる奴だ。金を出して優越感にひたりたいのだ。
- こいつはウザい。会いたくない。金を出すから会ってやっているだけだ。
- 金を出すからって兄貴面をしたり、偉そうに説教たれてるんじゃねぇ。
- 金を出すから会ってやっているけど、そうでなければ絶対に会わない。
相手に感謝されていると思っているのは自分だけで、相手は感謝どころか、嫌がっている場合が多いのです。
自分が出す一方の関係は、相手から感謝されていない証拠
もし、本当に相手から感謝されているなら、何回かに1回は逆に相手からごちそうになったり、プレゼントをされたり、なんらかの返礼があります。人間同士の付き合いとはそういうものです。
しかし、自分が出す一方の関係ならば、それは相手から感謝されていない証拠です。
親は子供の面倒をみます。こどもの欲しいもの、必要なものを買ってあげます。学費からお小遣いまで全て出します。
でもほとんどの子供は親に感謝などしていません。感謝するのは小学校で作文を書かされる時だけです。親がこどもの面倒をみるのは当たり前だと思っています。
親をウザいと思っている子供ならたくさんいます。もし親に感謝している子供がいたらかなり希少です。
中小企業の社長は社員を連れて毎月飲みにいきます。毎回おごります。上機嫌で飲みます。真っ赤な顔をしてしゃべりまくります。
社長は部下に感謝されていると勘違いしています。影で社員に何と言われているのか知らないのです。哀れな社長です。
一方的に金を出される側は卑屈になる
一方的に金を出されると、出される側はうれしいどころか、卑屈な思いになります。出すほうは出される側を支配し、出される側は出すほうに支配されているという感覚をいやおうなしに受け入れさせられます。
自分には金が無い、相手には金がある。誘われて酒を飲んで、うまいものを食って、相手が金を出す。自分には出す金が無い。相手が上で自分が下。嫌だけど、うまいものは食いたいし酒も飲みたい。この卑屈な思いを断ち切りたいが断ち切れない。
であれば、利用してやろう。こついは人に奢っていい気分になりたいのだ。奢ってもらう時だけ、かしこまったふりをしていればいいのだ、と。
出される方は心から感謝したり喜んでいるわけではないということです。
私も若いころはよく働き、金を稼いでパワフルに振る舞いました。みんなにバンバン奢りました。みんな私についてきました。
でも心から感謝されてはいなかったことを後になって知りました。喜ばれていたどころか、苦々しく思われていたことを知りました。
もちつ、もたれつ、対等の付き合いが一番いい
歳をとると本当に心の通じるお付き合いが欲しくなります。表面上の付き合いはもう要りません。
安い酒場で割り勘で飲む。時には奢ったり、奢られたり、贈ったり、贈られたり。もちつ、もたれつ。見栄を張らず、贅沢をせず。つつましく、つましく。
会いたい人、会っていて楽しい人とだけ、たまに会って一献かたむける。
そんな付き合いを大事にしています。
この歳になってようやくそんなことを知りました。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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