かぶとたいぞうです。
先週の土曜日の夕方、家にいて何もすることがないので久しぶりにテレビをつけてみました。
やっていたのは相撲とゴルフと競馬。いずれも私にはまったく興味のないものばかりで、テレビをすぐに消しました。
テレビをダラダラと見るのは時間の無駄
その前も似たような状況でテレビをつけたとき、野球中継とかテニスの試合とか、私にはまったく興味のないものばかりだったので、すぐにテレビを消しました。
最近はニュースでもやってない限り、テレビをつけてもすぐに消すことが多いです。
目的なくテレビをダラダラと見るのが一番時間の無駄だと思います。
私達は案外なんの役にも立たない事ばかりやっている
そんなことを考えていたら、「私達は案外なんの役にも立たない事ばかりやっている」ということに気づきました。
子供がゲームばかりやっているのを見て、親は子供に言います。
「そんなもんばっかりやっていて何が楽しいのか」
「ゲームなんかいくらやっても、なんの役にも立たないだろ」
「ゲームなんて結局何も残らないだろ。時間の無駄だろ」
親も子も、なんの役にも立たない事ばかりやっている
でもそう言うお父さんも、暇さえあればテレビで野球中継とかテニスとか相撲を見ているのです。
人がスポーツをやっているのを見てもなんの役にも立たないし、何も残りません。
お母さんがいつも見ているお笑い番組も、なんの役にも立たないし、何も残りません。
私達は暇つぶしのために時間を無駄に消費している
テレビであれゲームであれ、私達は暇つぶしのために時間を無駄に消費しているのです。そこには何らの生産性もありません。
では仕事はどうか。確かに仕事は生産的です。しかし得たお金で食べ物を買って家賃を払って遊んで使って何も残らないなら無駄なことのようにも感じます。
仕事も価値があることとは限らない
世の中の役に立つ仕事をしているとか、仕事を通じて人間的成長があるなら価値があります。
でも、ただ自分が食うためだけに働いているなら楽しくもないし、なんの役にも立たないし、何も残りません。稼いだ金を使うだけの繰り返しです。
「なにかの役に立つこと」「価値のあること」とは何か
では、少しでも「なにかの役に立つこと」「価値のあること」とは何かと考えてみたら、思いつくことは案外少ないのです。
私が思いついたのは次のようなことです。
- 人のために働く
- 勉強する(読書やためになる創作物を見たり読んだりすることを含む)
- 会っていてためになる人、勉強になる人と会って話をする
- 健康を維持、増進させることをする
- 人の役に立つもの(創作物、表現)を創ったり残したりする
- 子供の教育や成長に役立つことをする
- それらのことを考える
今後は極力それらのことを意識して生きていこうと思います。
うっかりすると、なんの役にも立たない事ばかり
「私達は案外なんの役にも立たない事ばかりやっている」ということに気づいているのに、うっかりすると私自身もなんの役にも立たない事ばかりやっているのです。
それではいかんと感じるのです。
何か少しでも価値のあることがしたいのです。ただ時間消費だけをしていると、心に隙間風が吹くのです。歳をとったからでしょうか。
やはり私はなにか価値のあることをしたい
「そんなことを考えるのは生活に余裕があるからだ」
「生きていくのがやっとの人にはひまつぶしの娯楽さえないのだ」
「人間は食うために働いて、時間があったら娯楽で気分を変える。それでいいじゃないか。難しく考えるな」
という声が聞こえてきそうですが、やはり私はなにか価値のあることをしたいのです。
強く意識しないと忘れる
でも時々忘れて、なんの役にも立たない事ばかりやってしまうので、時々自分をチェックしなければなりません。
人生の残された時間を少しでも有意義におくりたいからです。
ただ食うだけなら動物だって虫けらだってやっています。私はそうではないと思いたいのです。
このブログだけは続ける
おそらく大したことはできないでしょうが、このブログだけはずっと続けます。
読んでくれる人がたったひとりでもいてくれれば続けられます。人のお役に立っていると思えるからです。価値のあることをしていると思えるからです。
ごきげんよう。
【関連性の高い記事】
この記事があなたのお役に立った場合、下の「いいね!」をクリックして頂けると、たいへんはげみになります。
【あわせて読みたい】
同じカテゴリーの最新記事5件
-
【対人関係】誰かに嫌な態度をとられ、自分を反省するのも良いけれど、問題は相手にあるのかもしれない -
道を求める者は世俗を離れ、ひとり山中に身をひそめて自分との対話を楽しむ。たまの話し相手は古典 -
【徒然草】やっぱりたまに徒然草を読んだほうがいい。吉田兼好の思考は老後生活のヒントになる -
断捨離が流行っているけど、何でも捨てればいいというものではない。捨てて失敗したものもある -
「足ることを知る」とは「現状に満足する」という意味ではない。むしろ、まったく逆の意味
「カブとタイ」をいつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
著者かぶとたいぞう拝。
記事のカテゴリー/タグ情報