かぶとたいぞうです。
神仏に手を合わせるのは、感謝のためであり、何かを祈ったり願ってはならないと決めています。
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外国免許の切り替え(外免切替)2回目の試験
昨日は外国免許の切り替えで札幌市手稲にある札幌運転免許試験場に行ってきました。
昨年タイでとったバイクの免許を日本でも使えるようにするためです。
「運転技術の確認」という、言わば技能試験です。
今回こそ受かりたい技術の確認
前回は試験に落ちたので、昨日は2回目です。年内最後の試験ということもあり、昨日は絶対に落ちるわけにはいきませんでした。
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125ccのスクーターを買って何回も練習した
万全を期すために125ccのスクーターを買って何回も何回も練習しました。
準備万端で望んだのですが、昨日家を出る前に仏壇の仏様に手を合わせて祈りたい気分になってしまいました。
祈ってはならない、願ってはならない
「それではいかん」と気を取り直して、仏壇に手を合わせ、試験日に晴れたくれたことに感謝しました。雨が降ったら試験は中止となる可能性があるのです。
試験に受かるか落ちるかは自分の実力次第。受かったときは仏に手を合わせて感謝すればよし。落ちたときは自分の実力の無さを直視してもっと練習するしかないのです。
試験結果
で、結果は不合格でした。あろうことか一本橋から落ちてしまいました。悔しいけど言い訳はしたくありません。自分の技術が足りなかったのです。
北海道の運転免許試験場では冬季間は二輪の試験はありません。だから次のチャレンジは来年の4月か5月です。
来春またチャレンジするが、来春も祈らない
来春雪がとけたらまた練習をして3度目の試験に臨みます。その時も仏壇に手を合わせて祈りたくなるかもしれませんが、私は決して祈りません。
祈っては実現するような人生なら運頼みの人生です。うまくいくのも、うまくいかないのも、イチかバチかです。私はそんな人生を望みません。
私は着実に確実に成功したいから祈らない
私は確実に思い通りに行く人生を歩みたいのです。だから神仏には頼らず、自分の努力と実力に頼るのです。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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