かぶとたいぞうです。
私は今、札幌の郊外で一人で暮らしておりますが、全然さみしくはありません。
昨年の今頃はパタヤで一人暮らしをしていました。
昨年は一人でパタヤに9ヶ月
一昨年の10月に札幌からパタヤに移動し、当初の予定では3月末には札幌に戻る予定でした。それが予期せぬコロナ禍で帰国できず、結局去年の7月になってようやく東京での2週間隔離を経て札幌に戻ってこれたのです。
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前回はパタヤのアパートで9ヶ月間ひとり暮らしをしました。
コロナ制限下のパタヤでの一人暮らし
しかもコロナ禍の制限のある中での不安な日々でした。
食料品店以外の営業禁止、夜間外出禁止、昼間でもビーチでの散歩禁止、パタヤ以外の地域への移動禁止、酒類販売禁止などなどです。
夜中外に出たら逮捕されるのです。
部屋に籠もってウィスキーを飲む日々
いつも通っていた食堂も店を閉じたので、人と会って話す機会もなくなりました。話し相手といえばアパートの前で屋台を出しているおばちゃんぐらいですが、そうそう長話もできません。
ストックしておいたウィスキーを部屋で一人で飲んで、株価を見たりネットニュースを見て過ごす日々でした。
札幌での一人暮らしはどうか
今はどうか。
もともと札幌ではあまり外食したり飲みには出ません。コロナを気にしているからと言うより、日本は外食が極端に高いからです。ただ、パタヤと違って外食しようと思えばできるのです。そのぶん心の余裕が違います。
いずれにしても、今もストックしているスコッチウィスキーを家で一人で飲んで、株価を見たりネットニュースを見て過ごす日々です。
パタヤにいたときとまったく同じです。
パタヤの一人暮らしより安心
札幌でも人と話すことはあまりありません。しかしまんがいち何かあったら隣近所に助けを求めることができます。救急車だって呼べます。
しかも当然ですが日本語が通じます。かえってパタヤの一人暮らしより札幌での一人暮らしのほうが安心なのです。
淋しがり屋
世の中には極端な「淋しがり屋」の人がいます。
小さい頃から家庭での結びつきが強く、喜怒哀楽の激しい人に多いようです。いつも大勢の人に囲まれて生活をしてきたので一人に慣れていないのです。
一人旅は「寂しがり屋」の修行
私にもその傾向がありました。それで修行の意味もあって若い頃から一人旅をしてきたのです。
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その成果があって、今では一人でいることに慣れました。ぜんぜん寂しくありません。
もちろん誰かと一緒にいる時間も楽しむことができます。しかし、常に誰かと一緒にいなければならないという気持ちはありません。
「寂しがり屋」は子供
以前の私は一人でいるのは淋しく、かと言って誰かとずっと一緒にいるとそれが煩わしくなり、自分の都合のいいように相手を操縦しようとして失敗を繰り返していました。
常に誰かをぐるぐる引き回して最後にはケンカとなり、別れてはまたくっつくことの繰り返しでした。
自分に合う相手がいないと思っていましたがそうではなく、自分の主体性がなかっただけなのですね。独立した大人ではなかったのだと思います。
「ひとり」が基本スタンス
今は一人が基本スタンスです。だからたまに人と会うと嬉しいし、楽しいし、相手を尊重することができます。いい関係が長く続きます。とてもいいことだと思います。
今、一人でいて淋しいと感じる人は、これがいい修行だと思えばいいですよ。人間は最後の最後は一人で去ってゆかなければならないのだから、その時のための訓練だと思えばいいです。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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